サクセスストーリー

鬱の時

【言いたい事を発言できる私がウツ??

自分でも信じられなことがありました!

40年間稼業の洋装店を手伝っていましたが、

縫製者の高齢化・家賃の値上げ・バブルがはじけて売り上げの低下に伴い

明治生まれの祖父母の代から続いていた店を閉めることになりました。

閉店後は、 2年間何をしたら良いか分からず、 色々塾ジプシーでした。

女帝の母 􏰀母が中心になってオートクチュールを経営􏰁 が初めて命令ではなく、 私に聞く形 で、 ある情報を伝えました。

それは 「介護の研修会」 の話でした。

両親も80代だったので、 介護の勉強も役に立つと思ってヘルパーの勉強をしました。

今までは急に言われる無理難題ばかりでしたが、

今回初めて素直に母親の意見をすんなり受け入れることができました。

介護の仕事は、 身の回りのお世話です。

今まで家庭的なことは、 すべてお手伝いさん任せだったので、 基本的な家庭内の仕事に疎 い私です。

娘より若いスタッフさんに色々教えてもらいました。 この時もう55歳でした。

【炊飯器でまともにご飯が炊けない夜勤者】 

介護施設で、 初めての夜勤明けの朝食の時、

同じ年の先輩 􏰀教育担当􏰁 A さんが気になり、 7 時前に出勤してくれました。

なんとご飯が炊けていませんでした! 普通にお米を洗ってセットできた気でいました。

しかし、 予約ボタンは押してありましたが、 炊飯ボタンんを押

 してなかったので、 炊けていませんでした。

A さんの予感は的中してしまいました。

こんな調子で介護の世界に飛び込みました。

なまじ全く知らなかったから、 1から教わろうと素直な気持ち で、 チャレンジできました。

中途半端に色々知っていたら、 娘より若いスッタフについてい けなかったかもしれません。

今は元気でいる80代の両親の今後を考えたら、 これは必要な スキルと実感できたので、 初めての夜勤明けの失敗を機に入れ 替わることができました。

今までは管理職でしたから、 下の方の気持ちを体験したことが なかったので、 この機会に下から、 上の世界を見てみようと決 心しました。

「イエスマン」 を通して口答えをしないことを目標にしました。

長年接客業でしたから、 常に平常心で笑顔はできました。

全く落ち込んで、 「青菜に塩」 にならないからです。

これが施設長の感に触ったようです。

先輩に苦情を言われても冷静に対応する態度が 「イジメガイ」 ないと見たようです。

施設長は、 「仕事は身を粉にして働く」 タイプ。

仕事は好きで、 完璧を目指して働いていました。

ただ、 両親に褒められず、 常に注意を受けて育ったようです。 「褒められたことがなかったようです」

 何かのタイミングで、 感謝したり、 「素晴らしい」 と言うと逆ギ レしてました。

他のスッタフに私順子を 「いじめがいがない」 と言っていたよう です。

それで、 ますます暴言がヒートアップしていきました。

ある日私は寝ていた時にどうも 「歯軋り」 ウィしていたようで す。

歯茎の中で、 歯が折れていました。

それに気が付かず、 食事をしてしまったことで、 悪化してしま いました。

そのまま出勤をしました。

そん日の夕食で、 食べにく事に、 やっと気が付きました。

しかし、 翌日もシフトで仕事に穴を開ける事ができず、 出勤し ました。

そんな状態で、 四日目には顔が変わるほど鼻筋が曲がっていま した。

その顔を見た同僚が夜も受診できる歯医者さんを紹介してくれ ました。

やっと治療を受けることができました。

施設長は、 そんな私の顔を見ても 「大丈夫? と言うことは無く 無視され続けていました。

おかげさまで、 歯医者に行けたので、 顔の腫れは引きました。

 しかし、 私の心がやられていました。

あっけらかんと言う私が、 まさか 「ウツ」 になるとは思ってもい ませんでした。

ですから、 自分が 「うつ状態」 と言うことに気がついていませ ん。

とてもおこりっぽくなっていました。

自分で 「変?? と思うようになったのは、 娘が初孫 􏰀1􏰁 連れて帰省した時にわかりました。

ほんの些細なことで、 私が怒り出したのです。

娘・孫 􏰀よちよち歩き􏰁 を置いてさっさと自宅に帰ってしまいま した。

孫を連れ来てくれても嬉しくなく、 イライラしている自分がい ました。

帰宅後、 娘がトイレに行く時間、 孫を私の膝の間に置いていき ましたが、 私は孫を抱くきにもなっていませんでした。

こんな状態の自分を客観視した時、 初めて私は 「変! 「どうしたの? 自覚できました。

近くの駿府城公園の周りのお堀を早朝散歩に出掛けて自問自答 を繰り返しました。

この時、 「うつ状態」 の人がじしたい気持ちを理解しました。 道を歩いていて知人に会って、 色々聞かれることが面倒でした。 誰も私を知らない場所に住みたいと思っていました。

 私は40年間嫁ぎ先の宗門のお寺で、 毎日曜日の法話を聞いて いたので、 じ◯は踏みとどまることはできました。

今から思えば、 この件があったから、 お寺に関係のある嫁ぎ先 とりかできます。

世の中偶然はなく全て必然。

私がチャネラーで色々な方の相談を受ける時、 実体験でアドバ イス出来るためだと今は理解しています。

今は高齢化が進み、 老老介護が普通です。

70年代の団塊世代が90年代を介護する時代です。

意外に介護職経験者が多いと思っています。

私の経験を伝えるので、 アドバイスにびっくりされる方が多い です。

【聖徳太子経験】

私は、 30年前にボランティアで、 TM瞑想ボランティ」 2 年間していました。

経営の神様 「船井幸雄氏」 TM瞑想を享受した鈴木先生に瞑想 を習いボランティアで私のサロンを提供していた時に体験しま した。

同じ空間で3箇所で、 会議していた時、 全ての会議の内容が一 瞬で理解できる体験をしました。

この時小学校で勉強した 「聖徳太子の10人の陳情者が一斉に 言っていた時、 一人一人丁寧に返答できたこと」

 聖徳太子さんはこれができたから、 宇宙と繋がっていた人と理 解できました。

これは世の中の悩める方のお手伝いができると確信しました。

しかし、 私は気がついたらできていたので、 伝え方がわかりま せんでした。

それから30年間私の 「青い鳥探し」 が始まりました。 2021年にチャネラーを育てるリサ先生に出会うことができ、

「神対話   覚醒カード」 を使って誰でも簡単にご自分の本質と 対話できる方法を伝えられる波動覚醒チャネラーになりました。

波動覚醒チャネラー 鈴木順子

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